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日本人の“お米感”と精米歩合

「お米を無駄にしたらダメだよ。」

先日、我が子が食べ残しているのをみたときに、ふと言った言葉です。

この言葉。
私が小さいころ、親、兄弟、先生、まわりの大人からよーく言われていた記憶が浮かんできます。お茶碗についている米粒まで、一粒も残さずにキレイに食べるのが当たり前だった。

その積み重ねからか、意識的に考えなくても、お米を残すともったいない。いや、もったいないというより、申し訳ない気持ちに近い感覚があります。

この感覚は何か?
育てて頂いた農家さんへの敬意もありますが、それなら野菜だって一緒。
敬意というより、お米は何かもっと尊いものに感じてしまう。

日本人は、お米については、食べ物をこえた役割や位置づけにしているというか、どこか神聖な部分を根底にしているのではと思ったのです。
この話を知人にした際に、「鳥取に住むおばあちゃんから“1粒のお米には7人の神様がいる”という話を幼少期に聞かされ、ずっと覚えている。まだ幼い子供たちのお茶碗に残ったお米粒は、自分が必ず食べきっている」と話しておりました。
お米粒に神様がいる;この話がご記憶にある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

日本酒には、精米歩合という言葉(指標)があります。
お酒を仕込むお米を、どれくらい削る(磨く)のかという指標です。
%で表されるのですが、この数値が小さいほど米を削っており、一時期は「50%」と「純米大吟醸」という言葉が 世間を席巻したような勢いで広まりました。今は、1%というお酒も見聞きします。
私たちの考え方は、その真逆です。
お米を削る量をなるべく少なくして、つまり精米歩合としては数字が大きくなっていくことを目指しています。
私たちの造る日本酒の多くは 精米歩合90%です。
90%という数字は、食卓に並ぶお米ほどにしか削っていないということです。
何を隠そう、私たちは普通のコイン精米でいいので ホームセンターにあるコイン精米機を使って仕込むこともあります!

これは、後々気付いたんですが、ちょっとしか削らないから 電気使用量も抑えられて、糠も少なくて、結果的に地球にもいいんですね。
ここ数年は、酒粕になる量をコントロールできるよう しっかり溶かす技術を追い求めたり、また、酒粕の活用にも取り組んでいます。
はい、とにかく 食べるお米を、食べるお米くらいにしか削らずに仕込んでいるお酒が、年々多くなってきています。
もちろん、銘柄によっては最大60%まで削っています。
出品酒の出品規定だったり、目指す酒質によってという判断もしています。
でもできるだけ、削らずに 味の幅を増やしていきたい。そこにチャレンジしています。
それは、食べ物を無駄にしないことでもあるのですが、日本の米文化を守ることでもあるんだなと。

子どもが残したご飯をゆっくりと噛み締めながら、ふとそんなことが浮かんできました。

農家さん、本当にありがとうございます。よろしくお願いします。

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